工芸の新たな楽しみ方を提案するWEB MAGAZINE。
作り手やアーティスト、北陸で暮らす人たち。
様々な角度から工芸の魅力をお届けします。
東京国立近代美術館工芸館が石川県・金沢市に移転し、通称「国立工芸館」として2020年10月に開館しました(開館時の記事はこちら)。皇居の側から街中に移ったこと、北陸という風土、そしてご自身の専攻である陶磁史から見た九谷焼など、地域性という視点から工芸にまつわるお話を主任研究員・花井久穂さんに伺ってきました。
−−東京から金沢に移転されて一ヶ月経ちますが、いかがでしょうか。(取材時2020年11月)
「移転前の工芸館があったのは、皇居の側でした。そこは緑豊かな憩いの場ではありますが、場所柄“人の暮らし”というものからは、ある意味離れたエリアではありました。対してここ金沢では本当に市街地のそば。“暮らしが近くにある場所”に工芸館が移転してきたという意義は大きいと感じています。
また、金沢の街には、すでに工芸文化がある。そこがすごく大切なことだと思っています。金沢は公の力だけでなく、“民の力”で自発的に文化的な活動が行われている街なので、私たちもそのネットワークのひとつとして機能していけたらと考えています。『これまで』と『これから』、『ここにあったもの』と『なかったもの』、それらがうまく混ざり合う場としていけたら。
そこで、皆さまへのご挨拶も兼ねている初回の移転開館記念展Ⅰ『工の芸術― 素材・わざ・風土』(〜2021年1月11日)でも、石川にやって来た“よそもの”と“現地の人たち”の交流というものを、テーマのひとつにしています。例えば、陶芸史の中でも大きな存在である富本憲吉(※1)と板谷波山(※2)は、二人とも石川と深い繋がりがあります。もちろん人とのご縁もあるけれど、“この土地でなければできなかった技法”というものが、彼らの作品の中には埋め込まれている。工芸館がこの土地に移転してきたことには、本当に色んな意味合いがあると思っています」
(※1)富本憲吉…奈良県出身の陶芸家、人間国宝(重要無形文化財「色絵磁器」保持者)。昭和11年には九谷に赴いて色絵磁器制作に取り組んでいる。(1886-1963)
(※2)板谷波山…茨城県出身。明治末から昭和にかけて陶芸界に新風を吹き込んだ陶芸作家。24歳のときに石川県工業学校の教師として金沢に赴任。(1872-1963)
−−「風土」「土地性」といった言葉を今回の展覧会でもキーワードとされていますが、これは花井さんご自身の工芸観に通じるところもあるのでしょうか?
「そうですね。大学院を卒業して、一番初めに就職したのが『笠間』という関東の窯場にある美術館でした。笠間は他所の土地からやってきた作家たちが自発的に始めたクラフトマーケットが30年以上続いて、すっかり根付いていたり、自由な雰囲気の産地でした。そこでは、“つくっている現場”がすごく近かったんです。
作家さんがつくっている最中のものを拝見したり、企画にご意見いただいたり。また、スーパーや飲み屋に行けば作家さんとバッタリ、ということもよくあって。普段の生活の中に、四季折々の“産地らしい暮らし”というものが織り込まれていて、そういう空気に私自身が慣れ親しんでいたところはありました。
その後、水戸の茨城県近代美術館を経て、東京国立近代美術館工芸館で働くようになりまして。作家さんたちも、各地から工芸館を訪ねて来てはくださるのですが、自分が体ごと産地にいる時間は短くなり、“仕事場のにおい”というものから少し離れてしまっていました。
作家さんにおいても今はネットや電話でも素材は注文できるので、素材のない場所でも制作はできます。けれどやっぱりその土地に行くと、その土地の香りがする表現があるなと感じます」
−−ご自身も移転を機に関東から金沢に引っ越されています。金沢の風土はいかがでしょうか?
「私は金沢に来てまだ一ヶ月ですが、この一ヶ月はかなり濃厚でしたね(笑)。工芸館と自宅の行き来だけでも四季の移ろいというものが明確に感じられる。それぞれの庭が素晴らしく、朝には庭の木の葉を掃いている人を必ず見かけます。植物や自然と一緒に生活するという営みがずっと続いていて、その営みによってこの街のランドスケープがつくられていることを感じます。
建物も画一的ではなく、近代建築もあれば町家もあって、それらが混ざり合いながら今の暮らしに沿うようにそれぞれアップデートされているところも、“建築好き”の一人としては楽しくて。東京では何時間も通勤にかけていても風景や季節の変化というものはほとんど感じられなかったので、『ここでの暮らしはおもしろそうだぞ』と。特にものづくりをする人にとっては刺激が多い土地なのではないかと思っています」
−−研究員として陶磁史がご専門である花井さんは、これまでに九谷焼に関する展覧会を企画されています。石川を代表する伝統工芸・九谷焼の魅力や特異性はどんなところにあるとお感じでしょうか。
「“九谷ってひとつじゃないんだ”という気づきは、展覧会をやってまず面白かったことのひとつですね。外から見れば『九谷』というひとつのエリアかもしれないけれど、能美と小松と加賀で九谷焼が違う。地域ごとに風土や歴史、職人の得意分野や流通にまつわる商習慣まで、仕組みが違う。それぞれの「九谷焼観」があって、すごくマイクロな陶磁史で構成されているエリアというか。だから学者さんや作家、研究者で開催されている九谷焼の勉強会でも、議論がすごく白熱するんです(笑)。
また、バリエーションに富んでいて多様でありながら、同時に素材が統一されているので、どれを見ても九谷焼と分かる。自分たちのベースがあって、それを大事にしながらも自在に展開させていっている。そんな“層の厚さ”を九谷焼には感じます。
一度九谷焼作家のトークショーに呼ばれたときに、意地悪な質問をしたことがあるんです。『ライバルが多いことをどう思う?』と。歴史のある窯元もあり、これだけたくさん若手作家もいて、さらには上の世代もご健在で、なかなか中堅どころは苦しかろうと想像しつつ。
ところが皆さん『ライバルは多い方が良い』と答えられたんですね。一番重要なことは『九谷産地として続いていけること』だと。粘土をはじめ、絵の具や筆まで、素材のすべてを支えていくために、もはやそれぞれの立場を超えて団結しているというか。その姿を見てこれはもう“生態系”だなと思ったんです。
よく“作家もの”と“窯もの”といった概念で分かられますが、それらは本来対立軸で考えるべきではなくて、実際は一人の中にその両面があったりする。作家だけの産地というものは正直ありえないし、窯元だけの窯業地はやがて硬直化していくだろうと。その両方があって、九谷焼というものが支えられている。作品は“作家のもの”として紹介されることが多いですが、そこには名前のない人たちの仕事が必ずある。工芸品を使う人と、道具や素材を作る人と、そこに表現を加えていく人と。そのすべてがうまく循環していないと工芸は残っていかない。九谷の産地に出会って、そんな大事なことに改めて気づかされました」
−−金沢、石川、ひいては北陸の工芸作品に共通する特徴のようなものはありますか?
「全体的に“厳しさのある作品”といいますか、じっくりと見て向き合うタイプの作品が多いように感じています。そこには四季が豊かという反面、厳しい冬があるということも関係しているように思います。今回の展覧会でも、同じように細密な手仕事であっても、例えば沖縄の作品には南国らしい、どこかフッと力が抜けるおおらかさがあるといいますか。そういった風土の違いもおもしろいです。
そして“技術の展開力”が凄いですよね。ただ技術があるだけでなく、『この技術をいかにして展開してやろうか』という気概がある。九谷焼でも、様式を確立した江戸時代に光が当たることが多いですが、私は明治期の試行錯誤を重ねた末に生まれた技術展開にも魅力を感じますね。
そこには、石川があらゆる工芸が揃っていた土地だった、ということも大きかったように思います。隣接領域といいますか、違うものが隣り合っていたということが実はすごく重要で。例えば、板谷波山の技法にも、加賀友禅の技術が応用されていたりするんですよ。「隣で違うものをつくっている」という状況が、金沢にやって来た彼に新たな作品をつくらせたのではないかと思います。
街がコンパクトだと、行動範囲の中にいろんなものが凝縮されていて、自然と隣が近くなりますよね。東京など都市部になると、街が機能ごとに分化していたりしますけど、するとどうしても均質化してしまう。他のジャンルが近いほど、新しいものが生まれるチャンスがたくさん転がっていると言えると思うんですよね」
−−工芸品がこれからも暮らしの中で生きるために、大切なことは何だと思われますか。
「古い作品の中には、時にキッチュに転びかねないくらいの超絶技巧の作品があったり、『凄いけど、いま欲しくはない』というものもあるかもしれません。けれどそれはあって当然だと思うんです。美術館というのは『ミュージアムピース』という言葉があるように、生活空間とは離れた大作を集める傾向がありますし、研究者としては“今ここ”の価値観とは違うものにも興味を持ちます。なぜなら“わからない”からです。『わからないもの/他者』を身近に置くって、すごく大事なことだと思うんですよね。『どうしてこういう物をつくろうと思ったのだろう』と思いを巡らせること自体が重要で。
そしてその“欲しい”という価値観すら移ろいゆくものだということ。今回の展覧会でも、第二章では明治時代の超絶技巧から始まって、昭和初期には、工芸作品の形がシンプルな傾向に変化していく、その過程をぐるっと巡って紹介しています。明治期には『ここまで出来るぞ』という技を披露することが粋だったのだと思いますが、近代のようなモダンでシンプルなものが好まれる時代になってくると今度はその超絶技巧が過剰に感じられたりも。作品の評価は、時代の“好み”でもあるはずで。
工芸品は『どういう場所に置かれていたか』ということを拡大延長して想像してみるとすごく面白いんです。そもそも、日本の工芸品はそれ単品では成立していなくて、周囲の“しつらえ”といった空間とともにあるものですよね。そういう意味では明治期の建物を再生活用した当館は『十二の鷹』のような作品が飾られるのにピッタリの空間ともいえます」
「時代がシンプルな傾向になればなるほど、今度は超絶技巧の希少性や価値は上がっていくし、その価値観がやがて暮らしの中にも浸透していく。もっと時代が進めば、私たちも“シンプル時代の人”と後世の人に呼ばれているかもしれません(笑)。
『時代は変わる』ということは、歴史が証明しています。けれど、『どう変わるか』は今の私たちにはわからない。今回の新型コロナウイルスの感染拡大も予期しえぬ出来事でした。けれど、それによって『家での時間を充実させよう』ということで工芸品がオンラインで売れるようになったとも耳にします。
だから “私たちがどう暮らすか” で、つくられる工芸品が変わるという側面も本来あるんですよね。もちろん作品は作家がつくるもので、作家固有の経験が影響する部分も多いけれど、その作家だってこの時代の一人の生活者であるわけで。だからこそ、視点のズームを引いていって、食べているもの、着ているもの、住んでいるところと、もっと地続きで考えた方が工芸を理解しやすいと思うんです。
“私と私たちのやりとり”というか、それぞれが全体の中のひとつであると同時に、ひとつが全体を変えていくこともある。その両面が工芸品を見ているとよくわかるんです」
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【information】
「国立工芸館」
開館時間:9:30-17:30(入館は17:00まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館)、展示替期間、年末年始
住所:石川県金沢市出羽町3-2
HP:https://www.momat.go.jp/cg/
【展覧会情報】
■国立工芸館石川移転開館記念展Ⅰ「工の芸術― 素材・わざ・風土」
会期:2020年10月25日~2021年1月11日
■国立工芸館石川移転開館記念展II「うちにこんなのあったら展 気になるデザイン×工芸コレクション」
会期:2021年1月30 日- 4月15日
PROFILE
花井 久穂(はない ひさほ)
国立工芸館主任研究員・展示渉外室長。1977年北海道生まれ。2003年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程日本東洋美術史専攻修了。同年より茨城県陶芸美術館学芸員。2014年より茨城県近代美術館学芸員。2011年博物館法施行60周年記念奨励賞受賞。専門は近代陶磁史。
柳田 和佳奈(ライター/有限会社E.N.N.)
1988年富山県黒部市生まれ。富山大学芸術文化学部 文化マネジメントコース卒業。金沢で地元情報誌の編集者を経て、現在は有限会社E.N.N./金沢R不動産でローカルメディア「reallocal金沢」の運営などをしている。