工芸の新たな楽しみ方を提案するWEB MAGAZINE。
作り手やアーティスト、北陸で暮らす人たち。
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自然のリズムや気配をガラスで表現する、富山市在住のガラス作家塚田美登里さん。偶然性をとりいれた制作から生まれる、奥行を感じさせる作品の表情は、ガラスにも関わらず生きているような熱量を帯びています。『工芸未来派』などの美術展でも活躍される塚田さんに、実験精神に満ちた技法とインスピレーションの源についてうかがいました。
ガラスをみているのだが、森の中にいる感覚になる。たとえば規則性をもって水の中から絶えず湧き上がる気泡、菌の胞子、鬱蒼とからだをとりまく湿度、濃く重なり合う葉脈、差し込む強い光。心地よいだけではない、圧倒的な、飲み込まれるような強さを持つ自然を感じる。
「制作を通して私自身も自然の一要素であることを感じ、世界との関わり方を探しています」
塚田さんにとって制作とは、「自然の意識や結晶のようなものを目に見える形に表すこと」だという。
自分自身と、自然から「受け取った」ものが、手を通過して形をとる。自分が自然の一部だという感覚は、何かのきっかけで気づいたのではなく、幼い頃から塚田さん自身に備わったものとしてあった。
「西洋の文化は自然を制圧しようとしますよね。そうではない日本の、自然とともに歩もうといった感覚は、教えられなくてもずっと感じていました。それは日本に生まれたから。だから海外に生まれていたら、全然違うものをつくってたんじゃないかな」
作品づくりにおいては、はっきりとしたイメージが頭の中に浮かぶ。しかし制作はそのイメージに近づけるというよりは、ガラスの表情を見て、より良くなるように絶えず変化しながら進んでいく。
「考えても何も浮かばない事もあります。それが手を動かすと不思議と湧いてくるものがあって、表現が生まれる。手で考えるというか、自分の頭の中だけで考える事には限界があると思っていて。素材や自然の力に耳を傾けるような事を、手が無意識のうちにやってくれるんだと思います」
作品の用途について、具体的にこう使って欲しい、といったことは少ない。膨大な試行錯誤の積み重ねによって生まれる作品は、ひとつひとつが愛おしくかけがえがなく、「この子」といった感覚がある。塚田さんの作品を購入する人もまた、そのものに適した扱いを自ずとしたくなるのではないだろうか。
「作品用にライトを付けましたとか、飾るための場所をつくりましたとか、その子がいる場所をつくってくださったり。形見にすると仰る方もいて、とてもありがたいことだと思っています。実用性だけじゃない、作品がそこにあることで気持ちが落ち着くというのも、「使う」なんじゃないでしょうか。日本の普通の家には置きにくいような大きな作品もありますが、あるだけで空気が変わる、そういうものであってくれたら。日本でも海外のように大きなガラスの作品を飾りたいと思う人が増える事を願っています」
塚田さんの作品は、ガラスでありながら、いきもののような有機性を感じさせる。それは「実験」の積み重ねが偶然性を孕む技法と結びつき、まさにそのつど「生まれる」ものだ。
まず工芸用の板ガラスを重ねて、ベースとなる生地をつくる。色の重ね方、大きさ、厚み、わずかな違いが作品に大きく影響するところを、経験値を元に組み立てていく。それから、ガラスに金属箔を熔着する。
細胞分裂のような、この有機的な表情が金属でできているとは。金属といえば、硬くて冷たい塊。それが、こんな模様をつくる性質があるんですか?
「私は科学者ではないので、難しい事はわからないですが。笑。色々と実験するなかで、発見した表情です」
温度や厚みや量などを作品のイメージに合わせて変えていく。素材の性質を知り、その特性を利用することが、作品の表情となる。塚田さんの作品の背景には、その作品ごとに膨大な「実験の繰り返し」があるのだという。
「失敗から始まるものも多いです。失敗だけど気になるものをとっておいて、作品として成立するところまで持っていくと、これまでなかった新しいものができたりする。結局モノにならないこともありますし、制作にかかる時間を単純に測ることはできないですね」
塚田さんは高校でデザインを学んだ後に高岡短期大学(現富山大学芸術文化学部)で金工を専攻。同時に陶芸など様々な素材を試すなかでガラスと出会い、続けて富山ガラス造形研究所でガラス制作を学ぶ。そこで課題としていくつものテストピースを提出するなかで、扱った経験のある金属をガラスと組み合わせる発想が生まれた。以来、塚田さんは「金属の膜」を自身の制作のオリジナリティに据えている。
さらに、ものによっては生地をウォーターサンダーによって切削。作品の表情を見ながら、カットするラインや研磨の具合を変えていく。
重ねられた生地が地層のように現れ、見る角度によって異なる色の綾を織りなす。それは光を通すガラスならではの、無数の色彩をもつ光の彫刻のよう。
形は型を最小限にして、熱と重力を利用してつくられる。実験によって見出される素材の新たな性質と、熔着や切削の技術、偶然性を操る経験値。それらが作品として結実するのは、きっと、いきものが生まれることに近い。
「闇雲なわけではなく、緻密な計画が必要ですが、完全にコントロールしきれるものでもない。偶然性を取り入れているけれど、全てを委ねるのでもない。常に作品と対話をするように制作しています。素材、熱、重力、光。委ねるところと、自分の感覚をすり合わせていくような仕事は、素材と自然とともにつくっている感覚です」
「受け取った」ものを作品として結晶化させる塚田さん。昨今の新型コロナウィルス流行における制作への影響について尋ねると、色が変わったと教えてくれた。
「赤を使いたくなったんです。3、4年前は試してみることはあっても、強すぎて使えなかった。でも、エネルギーを感じたい、力が欲しいっていうときには、『赤』なんですよね。赤はマグマみたいなイメージなのかもしれません。安らかな自然の中にもすごく力はあるのだけど、赤はより強い内側を支えるエネルギーですね」
普段から巣篭もり状態で、制作とはあくまでも自分と素材との対話であるため、生活そのものはほとんど変わっていない。けれど社会に満ちた不安な空気感は、否応なく感じとられる。
「後から見たら、なんでこんな赤いものをつくったんだ?って思うかもしれません。笑。でも自分に正直につくるほうがいい。その時に感じるものは、その時にしか手に入らないもの。それを捉えたものにしたいんです」
幼い頃から「自分を自然の一部」と感じてきたという塚田さんだが、その感覚に共感できない人もいるだろう。人工物に囲まれた生活が当たり前になり、自然をはるか遠くの記号的なものに感じている人は、思いのほか多いのではないだろうか。
「だからこそ、私は作品を通じて、自然の奥深さやエネルギーを届けられたらいいなと思いますし、そういう役目だと思ってやっています。人も自然の一部で全てが繋がっているメッセージを伝え続けるのは、この先もっと大切になっていくんじゃないでしょうか」
テクノロジーの発展により、あらゆるものが人の手を経ずに製作可能になる社会では、ものと人の関わり方も変わっていく。もしかしたら、今はまだ存在している、人の手によるものづくりも忘れられてしまうかもしれない。それは他者や自然と繋がるいくつもの回路が閉ざされることを意味する。
「どんどんデジタルになって、バーチャルになって、ずっと先の未来には、美術館に3Dプリンターでつくったものしか並んでない、なんてなりかねませんよね。私は時間をかけてものをつくる仕事がなくなるのは恐ろしいことだと思いますし、この先にも手で丁寧に作る仕事を続けていきたい。制作を通じて、その時代の人がどういう感性でどうやってものをつくったのか、後世に遺す役割も負っていると思っています」
森や山や海といった大きなものも、素材や物理や化学も、手を含む自分の身体も、「自然」であることの不思議。「自然」という言葉が内包する多様な意味と、言葉では捉えきれない大きさ。塚田さんの作品は、混沌とした、しかしどこまでも美しいエネルギーに満ちた「自然」を私たちに問いかけている。
PROFILE
塚田美登里
1972年 岐阜県出身
1994年 高岡短期大学卒業(現富山大学 専攻科)
2002年 富山ガラス造形研究所研究科修了
2004年 金沢卯辰山工芸工房修了
2006年 金沢卯辰山工芸工房 専門員として勤務
2011年 富山市に自宅件工房設立
作品は、 Philadelphia Museum of Art (アメリカ)、 The Museum of Contemporary Design and Applied Arts :MUDAC(スイス)、金沢21世紀美術館、能登島ガラス美術館、富山ガラス美術館他多数に収蔵されている。
籔谷 智恵(ライター)
神奈川県藤沢市出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業。「人の手が持つ力」を知りたいと重要無形文化財「結城紬」の産地に飛び込み、ブランディングや店舗「結城 澤屋」立ち上げなど活性化に奔走する。結婚後は札幌で1年間暮らし、富山へ移住3年目。現在は今後の住まいとする県西部の田んぼの中の民家をリノベ中。今一番興味があるのは人類学。http://chieyabutani.com/