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2021.02.26
鉄製のキャンピングペグがテーブルの上に転がっているように見える。黒くて長く、表面は重厚な質感を持ち、先端は尖っていて、上部にはテントの上でも違和感のないネオン色のゴムで二本一組に固定されている。しかし、よく見ると、それらはペグ(釘)ではないことが分かる。金属ではなく漆器で作られたこの箸は、軽くて持ちやすく、アウトドアで和食を食べながらキャンプをするために作られたものだという。そう、箸なのだ。
日本の豊かなクラフトマンシップの伝統が持つ何世代にもわたって受け継がれてきた技術と、21世紀のアウトドアキャンプの世界が重なることはそうそうあることではないが、この2つの溝を埋め、現代における工芸製品の使用に革命を起こすことを目的とした新しいブランド、artisan933の目標はまさにそこにある。ブランド名からその起源を知ることができる。933は富山県高岡市の郵便番号だ。高岡市は北陸地方のものづくりの拠点として、特に金工品や漆器の産地として古くから親しまれてきた。
今日においては、北陸新幹線の便利な立地にある海岸沿いの街には、城跡や春のチューリップ畑、日本で最も有名な青銅製の仏像など、様々な魅力がある。
しかし、高岡のアイデンティティの核となっているのは、職人の技と産業である。このことは街中に職人伝統の痕跡が残っていることからもわかる。かつての商人街や職人街に見られるように、伝統的な低層の瓦屋根と格子状の木材のファサードが立ち並んでいる。
1916年創業の仏壇やミニマルモダンな風鈴などの金工品を手がける「能作」から、現代的で洗練されたなデザインのランプやカトラリーなどのホームアクセサリーでモダンな雰囲気を醸し出す19世紀の真鍮鋳物メーカー「futagami」など、名だたるメーカーが数多く存在している。
また、京都への玄関口であった山町筋にある「漆器くにもと」は、現代の工芸品愛好家のメッカのような存在だ。地元の職人による商品の企画・製造・販売を行う老舗店の4代目店主である國本耕太郎さんは、高岡の工芸界のロックスターのような存在だ。
インディペンデントブランドのほか、オーダーメイドの製品やデザイナーとコラボレーションした製品等、高岡の現代工芸品をキュレーションして展示するだけでなく、高岡の現代工芸シーンを世界に向けて発信していくために、ラップコンサートが目玉の工芸祭を開催するなど様々なプロジェクトを展開している。
最近の冬の朝、店の外に雪が舞う中、青いフリースにフェイスマスク、カーキのエプロンに、虹色に輝く小さなモダンな漆器のバッジをつけた控えめな國本さんが説明してくれた。「私たちの世代は、商品の売り方を変えて、伝統的な技術を使って、生活の中で使えるような新しい商品を作らなければなりません。」
高岡は、起業家のイノベーションを知らないわけではない。400年前、地域の未来の命運を決定づけたのは、地域工芸の文脈で誰もがその名を口にするような人物であったことは、よく知られている。前田公である。1609年、当時誰が決めたか分からないが加賀藩と呼ばれていたものを治めていた前田家2代目当主・前田利長が高岡城とその周辺の町の築城を命じ、7人の鋳物職人を召集して完成させたのが始まりである。その5年後に死去した利長に代わり、息子である前田利常が後を継いだが、法改正により一つの領地に城は一つという制約があったため、城郭事業は頓挫してしまった。しかし、前田家は市民の転出を防ぐことで高岡の職人の流出を防ぎ、商業・文化の中心地として発展するために様々な政策を打ち出した。彼の政策は、その後の高岡の商人・職人の集積地としての発展の礎となり、特に鋳物産業は仏具や銅像、茶道具などの販売に牽引されて活況を呈した。好景気に伴い、高岡の銅器・鉄器産業は1990年には年商374.5億円をピークとしたが、バブル経済が崩壊し、2012年には120億円と3分の1にまで落ち込んだと言われている。
國本さんが日本とオーストラリアのバイク会社で整備士として10年間働いた後、高岡に戻って家業を継いだのは、20年前のバブル崩壊後の苦難の時代だった。
「私の曽祖父は富山県氷見地方の出身ですが、生計を立てるために高岡市に移り住んできました」と、驚くことに店の奥にある木製の蔵の広い吹き抜けの空間の中で、コーヒーを飲みながら國本さんは説明する。「曾祖父は漆器の製造販売や職人さんとの仕事を始めた 」という。
「バブルがはじけて状況が変わった父の代までは商売はうまくいっていました。そんな時に高岡に戻ってきました。店を閉めることも考えましたが…高岡の職人や工芸に携わる人が頑張っている姿を見て、考えを改めました。業界を存続させ、後世に残すというのが、私の最初からの願いでした。」
店内を散策してみると、彼の希望が叶っていることがよくわかる。伝統的なクラフトマンシップと現代のライフスタイルの価値観を融合させた数多くの例の中には、螺鈿細工の専門家による繊細な装飾が施された漆器のiPhoneカバーや、極薄の貝殻のモチーフが象嵌されたイヤリングなどがある。幾何学的なモチーフをあしらった小ぶりで彫刻的なイヤリングも、同じ螺鈿細工の技法で作られており、厚さ0.1mm以下の紙の薄さの貝殻を使用している。
その近くには、伝統的な木の枡を現代風にアレンジしたガラス製の日本酒の盃の現代的な立方体のラインと、デザイナーである中村洋介とのコラボレーションによる、ベースに施された最小限の漆器の上塗りから反射する深い赤が垣間見える。
能作のミニマルで細身の一輪挿しの花器「そろり」や、大治将典がデザインしたモダンな生活雑貨で評価が高まっている二上の幾何学的な真鍮製の円形の鍋敷きなど、現代デザインの分野にも進出してきた地域の名だたる生産者の作品が揃った。
國本さんは、もうひとつの趣味であるキャンプについて語りながら、顔を輝かせた。高岡のものづくりの伝統と現代のアウトドアライフスタイルの融合を体現する新ブランド「artisan933」の共同設立者としての役割もその証だ。昨年立ち上げた同ブランドは、地元の工芸メーカーとのコラボレーションによるキャンプ向けの商品を次々と展開しており、5月には近隣に新たなキャンプ場をオープンする計画も進行中だ。
「モメンタムファクトリーorii」の4色の真鍮製軽量カップや、蓋に「artisan933」のモチーフをあしらった重厚な鋳銅製ダッチオーブン、そしてもちろんテントのペグをモチーフにしたお箸「PEG O’HASHI」など、キャンプに役立つ商品が続々と登場している。
「キャンプ用品と伝統工芸の融合です」と國本さんは説明し、多くの工芸品が生き残っていくためには、現代の多様化が必要だと強調する。
「今は、クライアントの要求に応え、現代のライフスタイルの中で必要とされるものに適応することが重要です。重要なのは、若い世代に関係のある製品を作るために、釣り、カメラ、キャンプなどの新しい分野でコラボレーションすることです。」
高岡の伝統的なものづくりの世界と現代のイノベーションのバランスをとるのは、間違いなく繊細な作業である。今日、高岡は日本の青銅器の90%を生産し続けているが、日本全国の多くの場所と同様に、職人の人口は減少している。
「現在、漆器を専門に扱う職人は30人ほどしかおらず、平均年齢は60歳くらいでしょうか。」と國本さんは付け加える。「銅の仕事をしている人は約1000人で、主に50代から60代の人が多いのではないでしょうか。」
伝統的なものから未来的なものまで、「祭り」は高岡が現代の工芸の世界での地位を確保するための一つの手段となっている。ユネスコ無形文化遺産に登録されている「御車山祭」は、高岡市の17世紀の起源にさかのぼり、毎年5月に開催されている。祭りの期間中、精巧に作られた7台の御車山が通りを練り歩き、金工、漆器、染色など、この地域の奥深い職人の技が目にも眩むような豪華さで披露される。そして、11年前から毎年秋に開催されている「高岡クラフト市場街」は、毎年2万人以上の来場者を集めている(昨年はコロナウィルスの影響でオンラインイベントに変更)。
70社以上の地元企業が参加し、工房見学、工場見学、ポップアップイベント、体験型ワークショップ、地元の食など、楽しいイベントが盛りだくさん。特に目玉の一つは、「ライバルは先祖様だ!」を合言葉に、工房や工場で開催されるラップコンサートの特別企画である。
「単純な話です」と國本さんは笑う。「売る側も職人さんも、新しい世代のお客さんに来てもらいたい。そして何よりも、高岡のものづくりを自分たちで体験し、楽しんでもらいたいんです。」
Danielle Demetriou(ライター、編集者)
ダニエル・デメトリウは、東京を拠点に活動するイギリス人ライター・編集者。ロンドンの全国紙に長年勤務した後、2007年に来日。イギリスのデイリー・テレグラフ紙の日本特派員であるほか、国際的な雑誌(Wallpaper*、Conde Nast Traveller、Architectural Review、Design Anthologyなど)でデザイン、ライフスタイル、旅行に関する記事を執筆している。日本のデザイン、建築、クラフトマンシップに夢中で、沖縄から北海道の最北端まで(その間にある他の多くの場所も含めて)日本全国でこれらのテーマを取材してきた。そして、彼女の秘密の趣味は(初心者の)陶芸家であること。