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2021.02.25
高岡の沿岸部・伏木にある浄土真宗のお寺、雲龍山 勝興寺。約30,000㎡の広大な境内には、平成10年から23年に渡る大修復を終えた、12棟もの重要文化財がのこっています。なぜそれだけの建物が往時の姿を留めているのか。修復に携わった勝興寺文化財保存・活用事業団の高田克宏さんにお話をうかがいました。
「江戸以前に建てられた建物がこれだけ良好に残ってるお寺は、京都・奈良と比べても珍しいんですよ。そういう意味でも、勝興寺には大変貴重な価値があります」
高田さんが、大きな広間を案内しながら教えてくれる。
大広間の奥には天皇の勅使(お遣いの人)とご住職が面会する場所があるため、唐紙にも釘隠しにも、菊の文様が使われている。
欄間は井波彫刻※。欄間には、特別な場所とそうでない場所を分ける、結界のような意味があるそうだ。
お坊さん用の広間とは何をする場所なのだろう。
「ここはお坊さんの会議室で、門徒さん(浄土真宗の信仰者)との宗教談義をする場所でもありました。昔は何十人ものお坊さんがお寺の中で暮らしていて。お寺には本来、お坊さんの住居部分が広くあるものなんです」
大広間の建造は1694年。江戸初期に建てられた、勝興寺のなかで一番古い建物だという。
続いて奥の台所へ。土壁とむきだしの太い梁が、かえって現代的な雰囲気の空間だ。板の間には囲炉裏と井戸、土間には煮炊きに使える竃(かまど)もある。
「いずれは大晦日にここでお雑煮を振る舞うとか、竃をつかった催しもやろうと思っています」
自分もつくる側になって、薪の火で料理をしてみたい。それにしても、お寺の大きな台所を新鮮に感じるのは気のせいだろうか。
次に門徒さんが寝泊まりや食事をする部屋を抜けて、「書院」というお寺の事務所に入っていく。一番手前の部屋は、大きなお茶会の準備をする「台子(だいす)の間。
ふと、天井の継ぎ目がギザギザしているのが気になった。
「古い天井板と新しいものを継いだ、修復の跡です。使えるギリギリのところで切断するので、こういう形になります」
高田さんがもうひとつ教えてくれたのが、根接ぎしてある柱。新しいものは古いものよりもひと回り太いサイズになっている。これは、経年変化によって木が痩せることを見越してのことだそう。
「100年後にぜひ確かめてみてください。笑。凹凸がなくなって、滑らかな平面になっているはずですから」
長い時間を見越しての修復。その痕跡から、建物に流れる悠久の時間が感じられる。
勝興寺は1471年、本願寺8代蓮如上人によって開かれた。江戸時代には前田家の庇護を受け、触頭(ふれがしら)という、北陸全体の浄土真宗寺院をとりまとめる立場にあった。
「本来、仏様のまえでの平等をいう浄土真宗と、武家はあまり相性が良くないんです。ただ前田家は越中の人々の心を掴むために、真宗門徒に支持されていた勝興寺を支援したんですね。そうして前田家との繋がりが深くなる中で、これだけ大きな伽藍(がらん:お寺の建物全体)が建てられていきました」
加賀藩11代藩主の前田治脩(はるなが)が少年時代に住職を務めていたり、徳川家と縁の深い鷹司(たかつかさ)家との婚礼があったりと、勝興寺は常に位の高いお寺だった。
「連枝(れんし)寺院というんですが、代々のご住職は、浄土真宗を開いた親鸞聖人か、8代目の蓮如上人、その子孫にあたる方々なんです」
そのためか、「奥書院」というご住職の居住スペースにある居間は壁に金箔が貼られており、釘隠しの中央には可憐な色彩の七宝焼きが施されるなど、工藝の粋の詰まった空間になっている。
「時間によって光の入り方が変わる、日本の美意識が強く感じられる場所です。障子が外からの光を間接照明にすることで、金箔の表情が豊かに感じられて」
そのさらに奥には、ご住職の仏間である「御内仏」がある。ともに通常は非公開だが、特別公開の機会もあるとのこと。ゆっくりと滞在して、光の変遷を体感してみたい。
お寺とはこんなに長い廊下があるものなのか。違和感に近い新鮮さを感じながら、ずらり長い廊下を歩いていくと、いよいよ本堂が現れる。
日本で8番目の大きさを誇る、迫力ある本堂。荘厳な屋根を支えているのは122本もの柱。構造的に強く、現代の耐震基準に照らし合わせてみても、補強する必要がなかったという。
柱は国産のケヤキ材で、おそらく近くの山から切り出したもの。今はこれだけ木目の詰まった立派な国産材は手に入らない。その柱が122本ある空間は、一種の森といえるかもしれない。お寺とは、多くの生命を涵養する森の似姿だったのか。
ケヤキの柱の中には、ひとつだけ「魔除けの柱」と呼ばれる、桜の木がある。
「桜の木はケヤキよりも柔らかいので、痛みが早くきます。その特性から修復の時期を測るために、ひとつだけ桜の木を使ったのではないかと言われています。実際、今回の修復作業のなかで、その柱が一番痛んでいました」
もうひとつ興味深いのが、魔除けの柱は逆さ柱であるということ。通常、柱は木が生えている向きそのままに立てられるところ、天地が逆になっている。
「あえて未完成の部分を残しておくことで、建物が未来永劫保たれていくという験担ぎだそうです。満月になったらあとは欠けていくだけだから、満月になる少し前の状態にしておくのだと」
お寺に込められた、様々な先人の叡智に圧倒される。
ただ近年はやはり、宗教や信仰といったものから人の心が離れていて、いっときのような活気はない。そんななか勝興寺では高岡市と協同して、3年前から「ふるこはんフェス」というイベントを開催している(2020年はオンライン開催)。
境内をつかったマーケットに、数珠づくりのワークショップ、広縁をつかったカフェ、雅楽の演奏、音楽法要。その日の境内は多くの人で賑わい、活気に満ちた往時の姿が垣間見えた。
そのほかにも書院での美術展や囲碁の対局の開催など、勝興寺文化財保存・活用事業団では人々が集う機会を折にふれつくっている。
「これからは、気軽に足を運んでもらうことが一番の課題ですね。勝興寺には書院周りの建物が多く残っているので、展示会やイベントでも、様々な使い方ができると思うんです」
そういえば、ずっと気になっていたこと。お寺といえば本堂のイメージしかなかったからか、長い廊下や台所のある「書院」を新鮮に感じた。
どうして勝興寺には、これだけ広大な書院が残っているのだろう。
「それは、勝興寺が民衆に支えられてきたお寺だからです。江戸から明治に時代が変わって、逼迫した多くのお寺は建物や土地を切り売りしたんです。けれど勝興寺は真宗門徒に支えられていたので、江戸以前と変わらない規模で、今日まで残ってくることができました」
寂れていく商店街の一方で、大型化するショッピングモール、そしてまたガラガラになるテナント。いつからか普通になってしまった街の風景が思い浮かんだ。一方で小さいお店が集まった、変わらず人の絶えない一角もある。そういう場所を支えているのも、大きな資本ではなく、個人のお客さんたちだ。
個人の力は集まった時、とても大きな力になるのではないか。
数百年を経て変わらない姿をとどめる勝興寺。それは先人の技術や知恵に加えて、ひとりひとりの、民の力を教えてくれる場なのかもしれない。
Photo: Nik van der Giesen
information
雲龍山 勝興寺
場所 / 高岡市伏木古国府17番1号
参拝時間 / 9:00~16:00(入場は15:30まで)
拝観料(文化財協力金)/ 500円
電話 / 0766-44-0037
URL / https://www.shoukouji.jp
籔谷 智恵(ライター)
神奈川県藤沢市出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業。「人の手が持つ力」を知りたいと重要無形文化財「結城紬」の産地に飛び込み、ブランディングや店舗「結城 澤屋」立ち上げなど活性化に奔走する。結婚後は札幌で1年間暮らし、富山へ移住3年目。現在は今後の住まいとする県西部の田んぼの中の民家をリノベ中。今一番興味があるのは人類学。http://chieyabutani.com/