工芸の新たな楽しみ方を提案するWEB MAGAZINE。
作り手やアーティスト、北陸で暮らす人たち。
様々な角度から工芸の魅力をお届けします。
工芸界のみならず、アート界からも注目を浴びる若手漆芸作家・池田晃将(てるまさ)さん。レーザー機やCADといったテクノロジーと、人の手業を組み合わせることによって生み出される、近未来的な作品は“マトリックス螺鈿”とも称されます。今回は金沢市の自宅兼工房を訪ね、その作品を生み出すに至った軌跡をうかがいました。
無数の・極小のデジタル数字が、漆黒の立体物の側面を蠢くように乱反射する。手の平に収まるほどのその小さな箱は、まるで未来からやってきたガジェットような「異物感」を放ちながらも、その美しさに思わず息を飲んで見入ってしまう。「漆は千年は残るものだということを歴史が証明しています。だからこそ今の時代の美意識や価値観をこの箱に閉じ込めたい」と語る池田晃将さん。
「隙のない技術で実現する、『冷たさ』を感じさせるまでの完成度。ある一線を超えた先にある、超越的な力を感じる領域。そこが僕の目指すところです」
それは「手仕事の価値/人の手の温かみ」として工芸を語る文脈とは反対の進行方向だ。
工芸に出会って池田さんの人生は大きく変わったという。「工芸」が今を生きるものとしてあること願う一人であるからこそ、時に「工芸」を疑い、必要あらば壊し、その境界を揺るがそうと挑み続けている。
取材当日も柔和な笑顔と物腰で迎えてくれた池田さんだが、高校時代まで“やんちゃ”だったと誰が想像できようか。千葉県の工業高校で建築を学んでいた池田さん。建築科を選んだ理由は「父が建築系だったから」と漠然としたものだった。「授業中に教室の後ろでサッカーが行われているのが日常茶飯事で、放課後は踵部分を踏み潰した革靴をカツカツ鳴らせて商店街を集団で練り歩くという…。テレビドラマにあるような、絵に描いた不良高校生でしたね(笑)」
そんな高校時代を過ごす中、池田さんに運命の出会いが訪れる。世界遺産の保存修復のボランティア団に推薦され、ネパールを訪問したときのこと。世界遺産カトマンズ、「ネワール様式」と呼ばれる木彫の建築装飾が施された街並みの一角にある工房で、10歳ほどの少年が父を手伝って土産品の彫り物をしていた。その造形に池田さんは衝撃を受け、そして心奪われた。
「建築であれ何であれシンプルになっていくポストモダンの時代にあって、『人間の生得的なもの』が何かそこにはあるように感じて。そして、それを『自分で作りだしている』ということにも惹かれました」。この出会いを転機に、池田さんは建築から装飾的なもの、美的なアプローチに目覚めていく。
「あと実は僕、昔から探検家やトレジャーハンターに憧れていたんです。遺跡や世界遺産も大好きで。しかし、Google Earthの登場によって『もはやこの世界にまだ見ぬ秘境はなくなった』と、その夢は見事に打ち砕かれましたが(笑)。でもよくよく考えると、僕はまだ見ぬ秘境に行きたいというよりも、そこに眠る『人類がつくり出したお宝』を見つけたかったんですよね。そういう意味では、今は自分の手で、『現代のお宝』をつくりだそうとしている感覚なのかもしれません」
高校卒業後、美大への進学を目指し始めた池田さん。自分のやりたいことを総括すると、自ずと「工芸」の道を選んでいた。金沢美術工芸大学で漆木工コースを選択したのは、カトマンズで出会った木彫の影響だったが石川では木工(木地)と漆は切り離せないものとしてあったため一つのコースになっていた。そこで初めて漆と出会う。「漆という平面の世界でも『装飾』というキーワードから僕のやりたいことができるのではと感じ、段々興味がレリーフ(浮き彫り)から漆の加飾へと移っていきました」
蒔絵や沈金、色漆など、様々な漆の加飾技法がある中でも「螺鈿(らでん)」が池田さんの「性に合った」という。「初めに大学の体験授業で卵殻(※)の作品をつくったのですが、卵の殻って湾曲しているので、平面に貼り付けられる最大サイズがとても小さくて、陰影の表現も難しい。確かに根気はいるけれど、この作業が不思議なほど僕には苦にならなかったんですよね」
(※)卵殻…漆で模様を描いた上に、細かくしたウズラなどの卵殻を貼り、漆を塗り込み研ぎ出す技法。
卵殻と同じように、繊細な仕事が求められる螺鈿。「僕は螺鈿の色が好きで。漆となると金色の加飾が多いけれど、何だか既視感がある。『現代に合う色』を考えた時、それが螺鈿だったんです」
螺鈿はアワビや夜光貝といった貝の殻を材料としている。貝殻を一週間ほど煮詰め、それを叩くことで貝の層を剥離させ、薄くなったその破片を使用する伝統的な「煮貝」技法や、現代では厚い貝をひたすら研磨して薄くする「摺貝」技法がある。非常に手間がかかり、さらには高価ではあるが、螺鈿特有の「構造色(※)」は様々な新素材が開発される現在でも、自然物である貝でしか出せないという。
(※)構造色…光の波長あるいはそれ以下の微細構造による、分光に由来する発色現象。
「漆で生きていこう」。大学3年生になる頃には腹を決めた。その覚悟と、大学で学んだあらゆる技術を盛り込んで制作した卒業制作が「Supernaturalism01」。髑髏という自然物をモチーフとしてはいるが「手垢を感じさせない隙のない技術で作り込むことで自然を超越した、異次元からきたような物質に成り代わりうるのではないか」そんな池田さんの制作信条が「スーパーナチュラリズム(=超自然)」というタイトルには込められている。しかし、全身全霊を注ぎ込んだ作品の完成は、同時に工芸で生きていくことの難しさ、その現実を池田さんに突きつけた。
「この細かい桜の花びらも、一つ一つ、『打ち抜き』という技法で切り出しています。要は周辺をタガネで割ることで形を抜き出すのですが、一緒に割れてしまうリスクも高い。そして同時に、一つの作品をつくるのにとにかく『数』を必要とします。この膨大な作業時間がかかる作品を、一体いくらで売るつもりなんだと。僕は量産ではなく、突き詰めた一個の作品をつくりたいというスタンスだったので、これを全部自分でやっていたら漆で生きていくことなんて到底できないと痛感させられました」
漆で表現をするのはあまりにも時間がかかりすぎる。もう少し「概念」だけを持ち出す形でできないか、そんな想いから大学院の進学先として現代アートの道も検討した。しかし、ちょうどその頃、金沢21世紀美術館で「工芸未来派」という展覧会が開催される。青木克世氏や桑田卓郎氏、「雲龍庵」 北村辰夫氏など今を時めく作家たちが、工芸的技法を用いながら自在に表現するその作品の“強さ”に池田さんは衝撃を受けた。
「現代の日本美術として勝負するつもりでいるのだったら、むしろ工芸の方が、歴史や文化といった文脈も含めてキャパシティがある分野なのでは、とその時感じました。僕自身『頭で見る美術』としての現代アートもとても好きで、なおかつ工芸も好き。だからこそ、コンセプトと工芸的な美しさが同居するものをつくれたなら、何にも負けない強いアートになるのでは、という予感もありました」
目指すべき焦点が定まり、金沢美術工芸大学の大学院へ進学した池田さん。金沢の港町・大野にある町工場を訪ね、レーザー機器開発の依頼を持ちかける。
「イスラミックモザイクのように、螺鈿のパーツも一個の単体がより複雑な形状をしていれば、より効率的に文様を描くことができるのではないか。螺鈿は自然物のため、自由な形を切り出すことが難しいのですが、レーザーなら可能なのではと考えました。僕が目指すのは『緻密に・大量に』というところだったので、従来のレーザーカッターでは難しかったんですね。そんなお金にもならない学生の研究に付き合ってくださった町工場さんには本当に頭が上がりません」
そうして螺鈿を極小に、かつスピーディーに裁断できる特注のレーザー機器が生まれた。しかし、「レーザーを使うことに、迷いもあった」と池田さんは当時の葛藤を語る。
「それは明らかに工学的な作業なので、手仕事であることを工芸の本義とする考え方からすれば“禁忌”を犯すことになります。それはいわゆる『伝統』の世界から外れることを意味し、『日本』と冠がつく展覧会にも出せなくなる。つまり何にも頼らず実力主義でやっていくしかなくなるわけで。でも、そんなときに師でもある山村慎哉先生がすでにレーザーを使っておられて、背中を押されました。今でもレーザーを使う漆芸家は山村先生と僕くらいだと思います。
しかし改めて考えてみたら、例えば陶芸においてもろくろや窯は機械化しているわけで、そういったことを言い出すと、じゃぁ一体どこまでがー…といった議論になってきてしまいます。
目指すものが手業でしかつくれなかった時代ならまだしも、現代には新たな技術がある。だからこそ、自分の中で一つの答えとしているのは、テクノロジーも使いつつ、人間の手業も使いつつ、誰にもつくれないものをつくる、ということ。実際に、僕の仕事は今のところアナログとデジタルを組み合わせないとできないものです。二項対立しがちな両者をひっさげて、この先を進んでみようと」
アートフェア出品や個展開催など、海外にも発表の場を広げている池田さん。そこで客観的に日本の工芸を眺めるようになったことで「日本の工芸がおかれている環境の特殊さ」を改めて思い知る。
「手でつくられたものの良さが前提として共有されていて、工芸品が文化財になったり “守られている環境” というのは、例えるなら、自然保護された国立公園やパンダの生息地のような特異な環境だなと。僕の作品も、海外で『パーツを一個一個手で貼って…』と説明すると『WOW!』と驚かれるのですが、それは“wonderful”の意味ではなくて、“なんでわざわざそんな事をするんだい?”という意味の方で(笑)。
『作家がつくったものを使おう』と言うこと自体、日本のドメスティックな価値観を押し付けてしまう可能性もあるわけです。だからこそ、僕は『手作りだから良い』といった価値観とは別のところで勝負したい」
これまですべて一人で制作してきた池田さんだが、最近はスタッフを雇い一部分業化も進め、制作体制の強化も図っている。
「ある程度の大きさのものを何点もつくれるようにならないと、海外では勝負以前に話になりません。作品の数が少ないということは、経済を回す力がないということ。資本主義社会においては、貨幣の価値が作品の価値となるわけで。まずは評価を得るためにも、今はそうするしかないと思っています。でないと、日本の工芸史を変えることはできないと思うので」
守られてきた工芸の歴史がなければ、自分は漆と出会うことはできなかったと、伝統に心から敬意を払っている池田さん。花鳥風月のような自然美にも心動かされると言う。
「けれど、それは自分のやるべきことでない。僕は少しでも壊していかないと」
若き“破壊者”の挑戦は始まったばかり。
PROFILE
池田晃将(てるまさ)/1987年千葉県出身。金沢美術工芸大学 工芸科 漆・木工コース卒業。金沢美術工芸大学大学院 修士課程 修了。大学院卒業後、金沢卯辰山工芸工房にて研鑽を積む。2019年金沢市内にて独立。
柳田 和佳奈(ライター/有限会社E.N.N.)
1988年富山県黒部市生まれ。富山大学芸術文化学部 文化マネジメントコース卒業。金沢で地元情報誌の編集者を経て、現在は有限会社E.N.N./金沢R不動産でローカルメディア「reallocal金沢」の運営などをしている。