勝興寺
勝興寺は、日本海の沿岸部、富山県高岡市伏木古に位置する浄土真宗本願寺派の寺院。約30,000㎡の広大な境内には、銅器の産地・高岡を象徴する亜鉛合金葺きの本堂をはじめとする、12棟の建造物が重要文化財に指定されている。平成の大修理として23年をかけて行われた大修理が2021年に完了。本展は、大修理後初の展覧会として、大広間、式台、台所などを含む重要文化財の中と、本堂をつなぐ渡り廊下、及び境内の広大なエリアで展開される。
青木千絵
青木は、大学時代に漆に出会い、漆の深い艶に魅せられて作品制作を始めた。題材は人体であるが、それが省略されたり、引き伸ばされたりと、青木の独自の視点からデフォルメされていて、人間存在の不可思議さや艶めかしさが表現されている。人体表現に独特のリアリティがある。漆のもつ特質を活かした表現はアート作品に特化しており、漆=工芸という概念では捕まえられないスケールの大きな作家である。
1981年岐阜県生まれ。2010年金沢美術工芸大学大学院博士後期課程修了。2019金沢・世界工芸コンペティション優秀賞受賞。主な展覧会に2011年「URUSHI BODY Aoki Chie」(INAX ギャラリー2)、2014年「ヒトのカタチ、彫刻」(静岡市美術館)、2017年「美術の中のかたち―手で見る造形 青木千絵展 漆黒の身体」(兵庫県立美術館)、「Hard Bodies: Contemporary Japanese Lacquer Sculpture」(ミネアポリス美術館)。金沢美術工芸大学工芸科講師。
伊藤慶二
彫刻的な造形物から一枚の皿まで自在につくるマルチタイプの工芸作家であり、造形作家ともいえる。こういうとなにか特別の意図をもって両立させているように見えるかもしれないが、本人は、用途を持つ工芸であろうと、芸術的な表現物であろうと変わらない。両方に伊藤らしさが出るが、中でも人体表現は魅力的で、独自の造形性を見せる。適度に抽象化され、一見、プリミティブに見えるが、シンボリックであると同時に、ポエティックでもあるという多面性を見せる。一体で置かれるときもあれば、群像として展示される時もあり、表情豊かだ。背後には独自の世界観がある。
1935年岐阜県土岐市に生まれる。1958年武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)を卒業後、1965年まで岐阜県陶磁器試験場デザイン室に勤務し、日根野作三氏に師事する。1967年築窯、作陶活動を始める。1981年第39回ファエンツァ国際陶芸展買上賞を受賞し、海外での発表の機会を得る。また、多治見市陶磁器意匠研究所や九谷焼技術研究所の非常勤講師のほか、多くの場で若手作家の育成や指導に携わる。
nui project(しょうぶ学園)
鹿児島市を拠点に活動する福祉施設「しょうぶ学園」の重要な造形プロジェクトである「nui project(ヌイ・プロジェクト)」は、集団で行う「縫うこと」に特化した活動で、アート作品化したり、デザイン展開したり、ときにはデザイナーと協力して、商品展開したりするアメーバ的な動きをする活動である。布に刺繍を施す。その集積であるが、それぞれのクセや個性が表情豊かな縫い跡をつくり、多層的で魅力的な世界をつくり出す。膨大な数の装飾と相まって圧倒的な迫力だ。
しょうぶ学園のnui project(ヌイ・プロジェクト)は、独創性に優れたプロジェクトとして鹿児島県にて1992年から本格的に活動を開始。ひとりひとりの個人ワークを優先させ、「針一本で縫い続ける」という独自のスタイル=行為から生まれてくる思いがけない表現、そのプロセスにおいて表出する心の動き=心理や行動=アクションのすべてを「その人の個性」として尊重し、サポートすることを大切にしている。ここでは、知的障害を持つ人たちの思いもかけない優れた才能が、アートやテキスタイルの分野に刺激を与えるまでになっている。nui projectをとおして、自分のスタイル(独自性)を持つことの本質を社会に向けメッセージを送り続けている。
須藤玲子
須藤は、伝統的な染織技術から現代の先端技術までを駆使して新しいテキスタイルをつくりだすテキスタイルデザイナーで、日本各地の繊維産地の工場や職人と協働で新しい素材や画期的な布を生み出してきた。その力には国際的な定評がある。人間にとって身近な布という素材の可能性を最大限にまで引き出し、身にまとう服装から居住空間にまで自在に展開していく。今回は大きなインスタレーションの制作によって場所にハレの空間をつくり出す。
茨城県石岡市生まれ。株式会社布代表。東京造形大学名誉教授。2008年から株式会社良品計画、山形県鶴岡織物工業共同組合などのテキスタイルデザインアドバイスを手がける。2016年から株式会社良品計画アドバイザリーボード。毎日デザイン賞、ロスコーアワード、JID賞 部門賞など受賞。日本の伝統的な染織技術から現代の先端技術までを駆使し、新しいテキスタイルづくりを行う。作品はニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、ロサンゼルス・カウンティ美術館、ヴィクトリア&アルバート博物館、東京国立近代美術館などにコレクションされている。
田中乃理子
田中は、規則正しく糸を縦に縫うことを繰り返して作品を生み出している。決まった五色もしくは七色の糸を一組にして使用し、一筋ごとに色を変えて、隣に沿わせて縫い進めていく。縫い目には止めがなく、ただまっすぐに塗っているようにも見えるが、注視するとはじめと終わりには一度返し縫いがあり、糸が抜けないような工夫がされている。目の揃った緻密な縫いは、長い年月をかけて制作されている。
1979年生まれ。三重県在住。1997年からやまなみ工房に所属。彼女は長年、縦に縫うことを繰り返し作品を生み出している。決まった五色もしくは七色の糸を一組として使用し一筋ごとに色を変え、隣に沿わせ縫い進めていく。縫い目には留めがなく、ただまっすぐに縫っている様にも見えるが、注視すると始めと終わりには一度返し縫いをし、作業中に引っ張っても抜けないようにと経験から独自に生み出した工夫が成されている。目の揃った緻密な縫いは、月日をかけ布の端から端へと帯状に広がりやがて布一面に施される。
四代 田辺竹雲斎
伝統的な竹工芸を制作する傍ら、大型のインスタレーションを行う。空間を横切り、変容させ、ダイナミックに竹がうねるスペクタクルな情景をつくりだす。そのスケールは大きく、見る人を圧倒する体感型のアート作品である。田辺にとって竹は単なる素材以上の存在であり、自身の分身ともいえる。竹を使うことは、自己表出であり、自己の開放であるが、その範囲は、小さな竹籠づくりから巨大なインスタレーションまで、同様に及んでいる。極めて今日的な工芸作家である。
1973年大阪府堺市に三代 竹雲斎の次男として生まれる。東京藝術大学美術学部彫刻科卒業後、三代 竹雲斎のもと竹工芸を学ぶ。2017年四代 田辺竹雲斎を襲名。代々の技術を受け継ぎ伝統的作品を制作する一方、大型の竹のインスタレーション制作を展開。インスタレーションは「記憶に残すアート」をテーマとして毎回違う場所と形で発表している。2016年フランス国立ギメ東洋美術館で日本人で初めてインスタレーション作品《五大》を発表。2017年メトロポリタン美術館にて《The GATE》 を制作。2018年フランスのショーモン城にて《CONNECTION —根源—》を制作。
中田真裕
中田真裕は、漆芸の伝統的技法である「蒟醤」を現代的なデザインの中で活かして作品制作する。蒟醤技法とは、塗り重ねた漆を刀で削り、そこに何層にも色漆を重ねて削りだす技法で、幾重にも重なった漆層によって独自の模様をつくる。中田の作品の魅力は、シンプルな形態の上に施された蒟醤の多様な表情である。大きなスケールで漆芸作品を制作し、工芸にとどまらず、デザインから現代アートの分野にも活動を広げる。
1982年北海道生まれ。7歳から書道を学ぶ。香川県漆芸研究所で、篆刻の技法より発展した漆芸伝統技法の「蒟醤」を習得。2021年金沢卯辰山工芸工房修了後、金沢にて作品制作を続けている。2019年にミラノデザインウィークへ参加。第60回石川の伝統工芸展 めいてつ・エムザ社長賞、LOEWE FOUNDATION Craft Prize 2019 ファイナリスト、2019金沢・世界工芸コンペティション 大樋陶冶斎審査員特別賞受賞。
中村卓夫
金沢の琳派の流れを汲む陶芸家として茶陶に使用する焼物を主に制作してきた中村だが、近年では茶室の建材に相当するような建築的なスケールの仕事を行なったり、また空間を支配する大型のオブジェの制作をしたりと幅広い仕事をこなしている。発想が柔軟で、デザイン的なアプローチには定評があり、いろいろな場所の課題に応えていくような作品を展開する。どこにでも入り込んでいく融通性こそが中村の特質であり、その場を控えめに飾り、変容していく。
金沢市で三代続く窯屋の次男に生まれる。父・梅山が展開した金沢風“琳派”に新たな解釈を加え、1991年和光ホールの個展で「ぎりぎり器」シリーズを発表。以来“うつわ”と空間の関係領域の拡張を展開している。2012年「Designing Nature: The Rinpa Aesthetic in Japanese Art」(メトロポリタン美術館)。2017年「革新の工芸—“伝統と前衛”、そして現代—」(東京国立近代美術館工芸館)、「あたらしい工芸 KOGEI Future Forward」(三越日本橋本店)。作品は茶褐色に焼き締められた土肌を九谷焼風色絵が琳派風に彩る。金沢21世紀美術館、東京国立近代美術館、メトロポリタン美術館などに作品が収蔵されている。
八田豊
紙の原料である楮を手の感触によって貼り付けて制作した作品である。八田は50代の頃失明していくが、視力を失う中で、手の感触と音を頼りに自分の周辺の世界を再統合していく。その中でたどり着いた世界との関わりが楮を手の感触によって貼り付けていく作業である。我々は、手作業によって八田が作り出した作品を視覚によって後追いしているのだが、視覚の触覚性とでもいえる感覚が呼び覚まされて、楮の微細な質感を捉えていく。
1930年福井県生まれ。1951年金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)卒業。美術教師を勤める傍ら芸術活動をし、土岡秀太郎氏に師事。油彩画から60年代からパルプボード、金属板などさまざまな素材による表現を展開し、1965年第4回北陸中日美術展 大賞受賞のほか、受賞多数。幾何学模様を刻むカーヴィングなど独自の手法で国内外から高く評価される。80年代に視力を失った後は越前和紙の原料、楮を使用した作品「流れ」シリーズを制作。また1993年から毎年継続開催している現代美術の展覧会、国際丹南アートフェスティバルを中心となって立ち上げた。
山際正己
毎日休むことなく粘土で十数センチほどの人形を制作し続けてきた山際は、同じ形をした人形を地蔵菩薩と考えていて、自らの名前をつけて「正己地蔵」といって愛着を示す。大きな目、大きな口、胴体は簡略化されて真っ直ぐに棒状に足まで続き、腕二本は体の手前で交差する。サイズが微妙に大小あるが、形態は全く同じ。制作は飽きることなく続く。まるで日記をつけているかのように自らの痕跡として「正己地蔵」を制作し続ける。集合し、床面を埋め尽くしたときの迫力は相当で、圧倒的な場の支配力である。
1972年生まれ。滋賀県在住。1990年からやまなみ工房に所属。炊事、洗濯、部屋掃除に古紙回収、毎日彼が同じ時間、同じ流れで生活する中のひとつに創作活動がある。入所当初は、学校時代に学んだ皿や器などしか作ることのできなかった彼が、さまざまな体験や共に過ごす仲間からの影響を受け、次第に作品も個性豊かな立体造形へと進化していった。彼の真面目で実直な性格は作風にも表れ、同じ形の物を止めることなく、まるで流れ作業のように量産して作りつづけることができる。彼の代表的な作品「正己地蔵」もこれまで20年以上変わることなく制作され、十万体を超える作品は、彼の生き様そのものなのである。
横山 翔平
ガラスは、熱いうちはどのようにでも形を変える液体状の物体であるが、横山はそのガラスの可変性を最大限に生かして作品を制作している。近年飴細工のようにガラスを扱い、自在にオブジェを制作しているが、それ以前は内側に空気を吹き込む方法で5mにも及ぶ巨大なオブジェを制作していた。形は中心が膨らんだ繭状の形態で、中空である。大きさの割に薄くできていて際どい。上下に足が伸び、先端が細くなる。それが垂直に立ち、数体がまとまって緊張感のある空間をつくる。アクロバチックな制作方法に果敢に挑戦するのが横山の魅力である。
1985年岡山県生まれ。大阪芸術大学工芸学科ガラス工芸コース卒業後、金沢卯辰山工芸工房修了。富山県で活動後、2018年から多摩美術大学工芸学科で助手を務め、関東を拠点にしている。LOEWE FOUNDATION Craft Prize 2018でファイナリストに選出。国際ガラス展・金沢2019で銀賞受賞。国内外の多数の個展やグループ展で発表、レクチャー、デモンストレーションを行っている。